裏千家 茶の湯奮戦記

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2007年5月31日 13:24
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北山五山 その2

異なる価値観が豊かな文化をもたらす・・・。

宗教の多様性も芸術の多様性もお互いの存在を認める事から新たな発想が生まれると思います。
流派の多様化は茶の湯も同様で、流派が違えば考え方が異なるの???
私には判りませんので、ご意見のある方はどうぞ!

目的は同じでプロセスが違うのだと思いながら・・・
過日の「杜の大茶会」も呉越同舟。
他の流派の茶会に参加するのも面白いですね。

首都圏の友人から27日に鎌倉建長寺にて行われた茶筅供養に参加し
表千家と宗偏流だったとの事、管長吉田老師のお話を聞いて帰ってきたが
感激に満ちた一日だったと言っていました。
因みに友人は裏千家を学んでおります。
流派によって吉田老師のお話が変わるわけでもないですよね。

前回、北山五山が満勝寺を含めて臨済宗五山ですが、輪王寺は曹洞宗・・・
これって伊達家の多様性???  懐の深さかな。
地図を目の前にすると、左から輪王寺、資福寺、覚範寺、中に青葉神社、そして東昌寺、光明寺
あっと驚く鹿島香取神社・・・神仏混合の代表作。
今も昔も日本はカオスの真っ只中!です。

① 輪王寺(金剛宝山輪王禅寺)
       嘉吉元年(1441)伊達家11代持宗が福島県梁川に建立、慶長7年(1602)仙台に移した。
       梁川→西川(桑折)→米沢→会津→米沢→岩出山→仙台
       昌伝庵、泰心院、松音寺と共に仙台城下の4大寺を成し、なかでも随一と称された。
       この寺には正宗の八男竹松丸と正室愛姫の母相馬氏、赤痢菌を発見した志賀潔
       白虎隊唯一の生き残り飯沼貞吉のお墓があるそうです。

② 資福寺(慈雲山資福寺)
       弘安年間(1278~87)米沢の高畑に時の領主長井時秀西規が建立、同時期伊達4代
       政依が伊達桑折に3代義広の菩提寺として観音寺を、義広夫人の菩提寺として光福寺を
       創建。伊達氏の米沢移転に伴い元亀3年(1572)伊達16代輝宗が美濃から虎哉和尚を招        聘し資福寺の中興開基としたが、この時観音寺、光福寺を吸収したという。
       桑折→米沢→岩出山→仙台(慶長5年ー1600年)、寛永15年現在地に移転。
       今は「紫陽花寺」として市民に親しまれている。

③ 覚範寺(遠山覚範寺)  えんざんと読みます。
       天正13年(1585)非業の死を遂げた輝宗の菩提寺。天正14年(1586)米沢遠山に創建、
       政宗の師、虎哉和尚が開山一世。伊達家の移転に伴い
       米沢→岩出山→仙台(慶長5年ー1600)仙台愛宕山、焼失し慶弔6年現在地に再建。
       政宗の生母・保春院の墓と3男宗清の供養塔がある。

④ 東昌寺(無為山東昌寺)
       弘安6年(1283)政依が自らの菩提寺として桑折に創建。室町時代、幕府が全国に設置し       た「安国寺」に列せられた為、それ以降は五山の筆頭格となった。
       桑折→米沢→岩出山→仙台(慶長6年ー1601)北山に移転、当初は奥州街道(国分町通        り)の北突き当たりでしたが、明治になって青葉神社が造営された為東の現在地に移動。

⑤ 光明寺(松蔭山光明寺)
       弘安6年(1283)伊達家の始祖朝宗の夫人の為に4代政依が伊達郡光明寺村に創建。
       遣欧使節団として渡航した支倉常長の案内人ソテロの記念碑があるという。

今回は長くなりました。
北山五山 その3は次回に、満勝寺、青葉神社、鹿島香取神社の由来など。
そして、6月3日の月釜・・・・・。


 


 

2007年5月28日 11:43
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北山五山 その1

5月27日日曜日、午前中は「杜の茶会」にて一服と思い、勾当台公園に行ってきました。
曇り空で今にも振り出しそうな日でしたが、なんと盛況な茶会ではありましたが
やはり年代が・・・。
で飲まないで次の行動!

27日午後は北山輪王寺で「植樹祭」参加。
中国万里の長城植樹から必要性!
文字通り環境破壊に対抗しCO2削減、H2Oを作ろうまで・・・
仙台の輪王寺から植樹の発信をしように賛同!
宮崎先生の話に感動でした。
この日は輪王寺庭園が無料公開!!!

昔は茶会だけで来ていましたが
輪王寺の由来を知りませんでしたので調べてみました。

京都五山、鎌倉五山にならって伊達家が北山一帯に建立したものだそうです。
もともと福島県伊達郡に本拠があった時代から続いていおり
仙台に移った際、関わりの深い寺を北山に集めた事から北山五山と言うようになったらしい。

北山五山の元は伊達五山(伊達郡桑折町)と呼ばれるもので
東昌寺、光明寺、満勝寺、資福寺、覚範寺を指して北山五山ですが
満勝寺が1667年北山から北八番丁へ移転した為に、
輪王寺を加えて北山五山と称する向きもあります。

第8回仙台都市景観受賞の際は
   北山五山(光明寺、東昌寺、覚範寺、資福寺、満勝寺)と輪王寺というタイトルでした。

旧北山五山は臨済宗で、輪王寺は曹洞宗・・・。
北山五山の由来は次回に・・・・・。

6月3日日曜日は
裏千家の月釜で、ご担当は我等が佐藤宗秀先生、輪王寺です。
私は未だペーですので来年あたりに・・・出来る様ガンバですね。

先生のご了解を得て、フライイングですが
当日の掛け軸を一幅ご紹介致します。
興味ある向きは当日、輪王寺にお越し下さい。
素晴らしいお道具ですよ。

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青山鎖翠   青山翠を鎖す  大徳 福富雪底老師(14代大徳寺管長)
         〔青山みどりをとざす〕と読むそうです。  意味はお調べの程・・・



 


 

2007年5月24日 12:00
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定禅寺 名前の由来

5月24日 御遠忌 伊達政宗が亡くなられた日です。
謹んで・・・をお祈り申し上げます。

青葉城から見て、今の定禅寺通りの方は鬼門にあたるそうです。
第2合同庁舎のところに、真言宗定禅寺があったらしく
その門前を定禅寺通りと言っていた。
   ほら吹き道人こと(煤孫晴夫兄)

伊達政宗は定禅寺の末寺である大聖寺(今の仙台プラザ跡地)を建立し
災厄を免れようとした。

今は定禅寺ジャズフェスティバルの開催など
仙台市民や全国的にも地名として知られるようになりましたし
今頃の季節は欅並木の散策も・・・仙台が誇る地域の一つです。

だけど瑞鳳殿に至る石段が、伊達62万石に因んで
62段だと言う事は案外知られていないかなあ。
興味のある人は数えながら登ってみて下さい。


 


 

2007年5月23日 16:12
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寿は山に似たり 福は海の如し

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寿は山に似たり 福は海の如し   鵬雲斎玄室大宗匠

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芍薬

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すや製 木曽路

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茶入れ飾り

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炭点前

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更紗どうだん、小手まり、あやめ


前回の赤い花は名前は【鯛吊り草】でした。

今回の稽古では今年の淡交会東北地区大会の折、
宗秀先生が頂いた鵬雲斎玄室大宗匠揮毫の色紙が架けられておりました。

床の間には、芍薬が一輪・・・文字通り「立てば芍薬・・・綺麗でした」
菓子は岐阜県すや製「木曽路」  お菓子の表面にうっすらと木曽路が描かれていました。
味は緊張のあまり・・・・・何方か補足してください。

私の稽古は相変わらず、薄茶の平点前と棚物と2度
得意だったはずの「切り柄杓」ぜんぜん切れず・・・。

写真の男性は茶入れ飾り、女性は炭点前、入子点等々
孫先輩は長緒・・・何れも難しそうでしたが
教える先生は辞書見るわけでもなく・・・驚嘆です。

翌日、足が固まって・・・なんで?
正座なんですね。


 


 

2007年5月21日 13:24
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都忘れと・・・

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実家の庭に咲いていた〔都忘れ〕

稽古を始めたせいか茶花にも目を移すようになりました。
〔都忘れ〕   花言葉 → 【しばしの憩い】
  承久の乱に破れ佐渡へ遠流となった順徳帝が佐渡の庭に咲いている一茎の野菊を見て、
  「今日からはこの花を見て都の事を忘れることが出来る」と言ったのに由来するそうです。
  
何気ない花にも自己主張していると思うと興味津々!
そう言えば大学の茶室に「木瓜の花」を飾りS先生に教育的指導を頂いたっけ。

赤いほうの花の名前がわかりません。
教えて頂けませんか。

今日の稽古から風呂!少し緊張です。
過日見た「置き柄杓、切り柄杓、引き柄杓」・・・割り稽古してからですね。


 


 

2007年5月15日 12:00
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その道に入らんと思う心こそ・・・

3月9日佐藤宗秀先生の門をたたきました。
再開した稽古は〔炉の平点前〕から・・・
柄杓から湯水がダラダラ、袱紗捌きもキチンとさばけない!

あー恥ずかしい!

と言うより割り稽古もせず、はい!なんて良く始めたもんだなー。
厚顔無恥、恥知らずなんて自己嫌悪に陥りましたが
先生が優しく、○○年振りですものねーとフォロー・・・感謝
これこそ利休百首の第1・・・違うかあ?

4月はひたすら平点前
先生が変化をつけて下さり、飽きないように棚を使わせて頂いたりでした。
濃茶の平点前をと言って下さいましたが
茶入れに茶杓を乗せる自信がなく、ちょっと待って下さいと。
ずうずうしいなと感じながら・・・年の功?

次回は5月11日の稽古・・・



 


 

2007年5月 9日 16:48
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茶の湯を始めたキッカケ

もともと身体を動かす事が大好きでした。
勉強は二の次、親が心配し中学も高校も野球は厳禁、
中学では秘かに野球をやって親の前で平身低頭
(そのエピソードはそのうち)
大学に入ってお華ならばと了解を貰いましたが・・・。

入部したところが邦芸部、稽古日は華の稽古が週1日木曜、後は茶の湯の稽古日でした。
朝から晩まで、部室の先輩の殆どはお茶の部員!
これではね。

1年の大学祭、茶会の為の搬入を手伝い戻ってきたら
活けもしないのに、私の作品が展示されていまして・・・?
これは裏返るよなあ。
ん?表替わるかあ。
かくして、裏千家を稽古するひとりになりました。
でも今では華の先輩の心遣いに感謝しています。
素敵な先輩で、ルパン3世の彼女???

何故、お華を活ける気になったか

私の父隆行、本源遠州流でして
毎年、正月に着物を着て姿勢を正し
活けるオヤジの姿
格好良かったなあ!!!!!