
« 恥を棄て人に物問い習うべし・・・ | トップ | 和敬清寂 »
2007年6月12日 13:51
テーマ:
ほとんどの方はご承知のエピソードですが・・・
今の滋賀県長浜城主だった秀吉が狩りの途中
のどが渇いて、ある寺に立ち寄り茶を所望したところ
対応した寺の小姓が
1、大振りの茶碗にぬるめの茶を入れて出した。
のどが渇いていた秀吉は一気に飲み干し2杯目を所望
2、やや小さめの碗に、やや熱めの茶を出した。
秀吉が試みにもう一杯所望したところ
3、小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。
相手の状況をとっさに判断し、相手の望むところを察して
対処する心配りに感心した秀吉は、つれて帰り家来とした・・・。
この小姓だったのが、石田三成・・・豊臣政権の官房長官!
実際は三成が秀吉の家来になったのは
18歳の時、姫路でという文献もあり
お寺の所在と併せて不確かのようですが・・・
もう一つ
理性的な大谷刑部が関が原の戦いの時
負けると判断していた西軍(石田三成側)に何故組みしたか?
あるお茶席で、当時らい病に犯されていた大谷刑部と同席した三成が
同じ茶碗で(濃茶ですから一碗で回し飲み)茶を喫した事。
誰も嫌がって同席しなかったのに・・・
この一点で三成の人柄、気持ちのあり方と腰の据わり方に感激?
この者と一緒なら死んでも悔いなしと思った言うもの。
いろんな場面で茶室を含めたお茶が活躍?
人の心の在り様を思わせて興味深いのですが
〔歴史は勝者によって書かれる〕は何処の国でも一緒!
敗者が良く書かれないのは当たり前ですが、
このエピソードは気持ちの持ち方を現していて興味深い。
が興味のある方は関が原の役後の東軍諸将の待遇をみれば
石田三成の家康に対する抵抗のしようも一興
天下取りの目標を持った徳川家康と筋を通そうとする石田三成!
明智光秀も同様ですが、国のあり方を考えると言う点では
謀反も含めて戦の意義・・・この後どうすると言うビジョンがないと
迷惑なのはいつも〔国民、住民〕ですね。
当時の宣教師が
「裏切り、寝返り、強者に媚びる事を恥とも思わない国民」と
日本人を評し自分の国に報告していると言う。
当時1600年の時と現代・・・変わっているかな・・・
今の世の中にも一部あるかな。
このエントリーのトラックバックURL: