裏千家 茶の湯奮戦記

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2008年5月 6日 00:07
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ジョン万次郎と花水木

野草園散歩途中の「桜」・・・5月5日

語日の桜2.jpg

1841年(天保元年)ジョン万次郎が遭難した時は14歳
漁師の子で貧しかった為、当然日本の教育は受けられず・・・
言葉も土佐語・・・

遭難し約4ヶ月無人島(鳥島?)にて子供達5人で生活
救助した捕鯨船の船長に気に入られ米国生活を開始
当時の米国は歴史がないだけ身分に拘らず
民主主義をはじめ、英語は勿論学問のチャンスを与えられます
その生活環境を彩ったのが沢山の「花水木」

向上心が旺盛だったようで・・・全ての面においてトップクラス
当時、日本では航海術などの学問、技術はないのですから
日本で唯一の航海士・・・

散歩途中の「花水木」   5月3日

散歩の花水木2.jpg

1851年(嘉永4年)、ゴールドラッシュに沸くアラスカに渡り
日本に帰る資金を貯め込み帰国・・・

鎖国中に日本に帰ったのですから、相当厳しく尋問されたようです
NHK篤姫で有名になりました「島津斉彬」に見出され
直参旗本に・・・土佐中浜村の出身で・・・中浜万次郎と改名

この時代に英語(米語?)を話す事が出来る日本人も居ませんでしたから
ペリーの黒船騒動では通訳として活躍・・英語が話せる初めての日本人・・

日本の外国語はオランダ語でしたから大変だったと思います
ところが交渉相手のアメリカ人と親しく話せる万次郎を見て
ケシカランなら未だしも・・・スパイ容疑がかかり通訳を解任・・
判るような気もしますが・・・徳川幕府の見識も当時はこの程度

1860年(万延元年)日米通商友好条約批准のため
勝安房守を艦長とする「咸臨丸」に請われて乗船
船酔いのため艦長の職務が出来ない勝安房守に代って操船
無事アメリカ往復を果たした

捕鯨船乗り世界を股に駆けて活躍していたのですから
当然なんですが・・・学校では教えませんね
思うに進取の気性が豊富にあった人で
侍言葉もわからず・・・日本の標準語もわからず・・・
その姿勢に敬服・・・尊敬しますね

第2次世界大戦前の日米の不穏な空気を察したアメリカ人が
友好の印として送った「花水木」・・・
誰が受け取って・・・何処に植えたかも判らないそうです
歴史の表裏は真偽の程はわかりませんが
当時の日本はやはり傲慢だったのかなと感じます

日本から友好の印として送った「桜」は・・・サクラメントに残り
米国から友好の印として送られた「花水木」は・・・日本全国に・・

私の中では「花水木」・・・向上心、挑戦心、新規開拓の象徴

5月5日  広瀬川の鯉のぼり・・・こんな催しも・・・

広瀬側の鯉のぼり.jpg

今、見ごろの「藤」

藤.jpg

ジョン万次郎は「ABCの歌」を初めて日本に紹介した人でもあります



 


 

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