裏千家 茶の湯奮戦記

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2008年11月13日 09:10
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仙台・・・水を求めて・・・根白石

7日の根白石.jpg

根白石の名の由来は源頼朝が奥州征伐の帰りに七つ森にて巻き狩りを行った時、和田義盛、畠山重忠が大きな鹿を追い矢を射たが近くに寄ってみると鹿ではなく根元が白い大きな石だった。頼朝はこの地を「根白石」と呼ばせたという・・・根白石の名称の由来です。

源頼朝(1147~1199)は鎌倉幕府初代の征夷代将軍で52歳で没、文治5年4月(1189)源義経が藤原泰衡に滅ぼされると、泰衡討伐を朝廷に宣旨したが認められず・・・何時の時代でも法解釈を自分勝手にこじつけ・・・7月追討を開始した。8月上旬藤原国衡を討ち、22日には平泉に入る。9月上旬には助命を願って恭順してる泰衡を、安倍貞任処刑に習って首を釘で・・・更に泰衡を裏切り首を持参した者を不義の名目で処罰・・・権力者ですね。この時点で宣旨が届き、討伐の名義がたった事になります。

軍中は将軍の令を聞き、天子の詔を聞かず・・・だって

根白石の故事は泰衡を打っての帰途の事と思われ、文治5年(1189)の9月以降11月までの間の事と推測されます。・・・煤孫先生のお話にあらず・・・ここのところだけは私の推測ですから、年の為。

川の氾濫で行方不明になっていましたが、享保13年(1728)再建したが石神として信仰の対象となった。本来は下の石が「享保の石」で、この石の根は小さいが深く地中に伸び、その先端は宮城県白石市の市民センター南隣りに顔を出している???確認していません。

幻の白石.jpg

水を求めて・・・ですから・・・前回ご紹介の七北田に掛かる新堰は近隣の実沢、市名坂などを潤す水路として稼動しており増産に大いに寄与した。この水路の完成は元禄の頃(1690年代)、新堰の工事は難行を極めたに係わらず詳細な記録は残されていないが、明治22年の大洪水で決壊し復旧工事おこなわれた。この工事記録も残されていないが24年工事完成を祝って宇佐八幡神社に絵馬が奉納されていると言う・・・

次回は白石城址、宇佐八幡神社からです。

今週のお稽古はお茶事の為ありません。未だ参加できる身分???自信がないのです。21日金曜日から・・・です。



 


 

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