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2010年10月26日 19:32
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1ヶ月振りの稽古になりました。研修道場の畳に座ったら膝が立たなくなりまして・・・未だ貴方が来るのは早い!と言われているようでしたが気のせいか畳が堅かったような感じでした。
「秋明菊」稽古の花でも・・・気持ちが穏やかになりますし、私の楽しみの一つです。何にせよ活ける方の御心が映っていますよね。すっきり・・・形にキレもありますね。
稽古は予想通り「中置」・・・今年初めてなので戸惑いながら大板による薄茶は、柄杓の扱いが若干変わります・・・と言いながら来年は又始めからですね。稽古は今月だけですから・・・、「五行棚」によるお濃い茶と2度、膝の調子が今一つなのでよっこらしょで締りが有りませんでしたが、お茶を点てるだけで楽しいですから良しとします。
お菓子は綺麗に写っていませんが「月よみ山路」石川県小松市の松葉屋
同時に、お稽古に来られた方が持参した「栗むしチョコボール」も美味しかったです。
今週も中置・・・来週からは炉ですから、風炉の命は短くて・・・どちらかというと風炉のお稽古の方が好みですが、季節の彩りも稽古の一つ随所に「おもてなし」の形が出てきて、納得できた時もお茶を点ててる幸せを感じます。
みちのく湖畔公園の綺麗な銀杏です・・・仙台市内でもそろそろ危ないギンナン拾いが始まっています。
2010年10月23日 20:29
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10月4日念願の仙台33観音巡りが始まりました。
33という数字は法華経・観世音菩薩普門品に、観世音が33身に変化し衆生を救うと説かれているところからきており、仙台藩主第4代綱村公の代に選定されたという。
朝9時仙台駅2階の改札前に集合、少し雨に会う感じの日よりで同好の士8人・・・バスで川内亀ヶ岡・東北大学を横切り第1番札所「法楽院観音堂」
観世音菩薩の住む所・・・亀ヶ岡に第1番札所・・・山伏の修験寺としての法楽院があり、その後廃寺になり観音堂だけが残っています。写真のとおりしか有りませんから、誰も第1番札所だとは思わないでしょう・・・市役所がもう少し手を掛けて仙台藩の史跡を大事にしPRしたらと強く感じました。
番外ですが、法楽院近くに「亀ヶ岡八幡宮」があるので寄り道・・・
鎌倉の鶴岡八幡宮に対抗し亀ヶ岡と・・・360段あるという石段・・・昔のままの石段ですので幅が狭く揃っていないので下りは神経を使いながら下りましたが、ここでも由来を考えたら仙台市役所で手当てを考えたらと・・・桜の名所・・・再度感じました。
この後、交通公園にある三居沢まで歩き「不動明王」の夫婦滝
更に牛越橋(仙台城の石垣の石を国見で切り出し、牛にひかせて広瀬川を越えた橋)を歩き第2番札所「観瀧庵観音堂」へ、本尊は40本の手に27の顔が彫られている千手観音像で弘法大師の作と伝えられている。煤孫先生の言によれば、ここから川向うの三居沢の不動滝がみえるので、「観瀧」の名があるのでは・・・と。
ここから歩きながら昼食を何処で…と言いながら第3番札所に・・・続きは次回・・・。
2010年10月19日 16:20
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10月17日仙台市北山輪王寺にて芸術祭茶会が行われており、17日を挟んで都合3日間10日、24日の日曜日でした。裏千家は17日という事で参席してきましたが、薄茶席は大日本茶道学会、宗徧流の2席、煎茶席は清泉幽茗流の計4席、裏千家は鎌田宗節先生がお濃い茶席をご担当されておりました。
「半杓庵」ですが、お濃い茶席は40人前後が席入り大変な賑わいでした。1日4席に席入りするのは困難?と思われましたが、しっかり4席ともお茶を頂いた猛者もおられるようで感心しきり・・・私は鎌田先生のお席だけで帰りました。
上は「山中無暦日」・・・山中には暦はないので自分の自由に過ごしなさい?という意味らしい。
下はお濃い茶茶席の「むくげと・・・」
「一重切りにむくげ」この時期にむくげ・・・今年は暑かったのでまだなのでしょうね。お茶も美味しかったしお菓子も美味しかったし、これで4席入れたら最高でしょうがなかなかです。この携帯による撮影は、鎌田先生のご厚意による撮影許可でした。
この時期の輪王寺の庭も良い眺めでしたのでお裾分けです。
角度を変えると輪王寺の顔もいろいろ変わるものですが、オールシーズン見学にたえられる仙台の自慢のお庭ですね。初夏のあやめ、紫陽花、心字池を中心に秋の紅葉、冬の雪景色・・・。
濃い茶席のむくげ同様、散歩途中の夏の花「芙蓉」
「余所などへ花をおくらばその花は 開き過ぎしはやらぬものなり」 利休道歌の一つですが、ご紹介の分は花が開いていないと判り難いので・・・ご容赦。
2010年10月16日 19:19
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お道具の扱いはそれぞれに利休道歌に書かれています・・・時代によって解釈が違うのかなぁと感じたりする事も有りますが(当たり前ですかね)読んでいて、そうか・・・と改めて考えさせられたりもしています。茶入れからお茶を汲みだす時も最初の一匙は少なめに「茶入れより茶掬ふには心得て 初中後すくへそれが秘事也」等と丁寧に教えていますが、真面目に読んだのは恥ずかしいですが今回が初めて・・・私の技量では矢張りやり直し・・・です。
みちのく湖畔公園「コキア」 先週の写真ですが、来週行って来ますのでもう真っ赤かなと予想しています・・・近い内に紹介出来ればいいね。
「柄杓にて湯を汲む時の習には 三つの心得あるものぞかし」
風炉の場合の柄杓で湯を汲むときの三つの心得で、①湯を汲む時は柄杓の九分目くらいに汲む ②湯は中程より下を汲み、水は中程より上を汲む ③油柄杓を戒める・・・。
①は理解の範囲ですが、②の理由は茶の湯の昔、茶室の中での暗殺もあった時代の事・・・水に毒を入れた場合沸けば毒は上に、水の場合は下に沈みますからお客様に対して毒は誰かが密かに入れても大丈夫ですよ・・・とお点前の中で証明しています。今は毒を入れる等と推理はしませんから形骸化してますが、元の理由が理由ですから教えたらと思うのですが・・・教えられる方からすると煩いのかな?
③は湯や水を窯や茶碗に入れる時に柄杓を上下させる事を、昔の油屋さんに例えて・・・みっともない・・・と諫めています。
稽古の中に「利休道歌」の研修時間があっても良いと思いますが、基本にはなかなか興味を持たないかもしれませんね。
散歩途中の「昼顔?」撮影は昼でしたが、萎んでいませんでしたので・・・昼顔かな、10月に入ってから見かけての撮影ですが短絡的!
今週のお稽古は自己都合で行けませんでした・・・膝の具合も良くありませんが、不思議な事に歩いたりゴルフをしたり・・・という時はあまり影響がないのですが正座すると立ち上がり難い・・・ムムム。今週は必ず稽古に行きます。
柄杓の扱いについて、風炉では「置き柄杓」、「切り柄杓」、「引き柄杓」と3通り有りますが、真行草で言うと置き柄杓が「真」、切り柄杓が「行」、引き柄杓が「草」になり、従って「置き柄杓」を粗相にしてはいけないと・・・、真の行台子の時は置き柄杓しかなく、行の行台子では置き・切り・置き・切りの交互になっていて引き柄杓がない・・・行の行台子は稽古した事がある?のですが意識してませんでした。でも3通りの柄杓の扱いの由来は???
何と言っても秋はコスモス(キバナ)です。
2010年10月10日 21:29
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各地に白鳥の訪れや鮭の遡上が伝えられ、秋来たれば冬遠からじの感じがします。仙台の広瀬川に今年は何羽の白鳥が飛んでくるか楽しみで、昨年は25羽を確認したのが最高です。
当稽古場は今週からお稽古、10月ですから「中置棚」が置いてあるものと・・・推理が楽しみなのですが、膝の具合が少々です。毎日1万歩以上で、今月はここまで約14万歩ですから余計目に散歩をこなしている為でしょうか・・・歳を重ねていますから何処を痛めても可笑しくは有りません。
秋の代表「りんどう」鉢植えですが9月末の写真、少し前は稽古場に飾る花が少なく・・・とこぼしていた先生でしたが、この時期はどんどん多くなりますね。
上の写真は宮城県涌谷:田尻の近く「加護坊山」からの一景、パークゴルフをした際の写真・・・もう少しでこの景色は紅く色づきます・・・綺麗でしょうね。
今月は17日に、宮城県芸術祭茶会が輪王寺にて開催・・・本日10日から3週間、日曜日毎に各流派のお茶会が開かれ17日は裏千家・・・都合14流派がお茶席を設けます。 更に23日には私の後輩の東北学院大学邦芸部が大学祭の一環で席を設けるので行ってみようと思っています。この時期学生のお茶会が多く、学生の時は毎日行っておりまして父から何時から「茶坊主」になった?と揶揄された事を思い出しニヤニヤ・・・若気の・・・ですね。
人生いろいろ・・・とは歌の文言(小泉さんも)、人それぞれに歴史あり・ですね。
淡交会宮城支部で行われた「仙台藩の茶の湯」も書こうと考えていましたが、私に書けるほどの事もなく伊達家の道具が仙台には殆ど残っていない・・・この一言が残念でした。
今週から稽古もありますし、「仙台33観音巡り」も始めましたし、お茶会も・・・今月は紹介する事がいっぱいです。
洋花ですが「ゼフィランサス」しっかり自己主張していますね。
2010年10月 4日 23:07
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今日10月4日、延び延びになっていた第1回「仙台33観音巡り」総勢8名少々の雨の中を実行しました。仲間で歩きますので途中のサプライズあり・・・この模様は次の機会で紹介しますが、今回の原田甲斐屋敷跡の「逆さ門」を見学、なんとなく縁を感じた次第です。
下は登米市東和町:東陽寺山門
原田甲斐は宮城県船岡町の城主でした。父の代から仙台藩の「着座」格、家格としては5番目ですが上席「1番格」、家老に登用も多い名門です。
山本周五郎「樅の木は残った」の主人公としてTVでも有名になりました。騒動では伊達宗勝派として見られてきましたが、本では反対側の伊達安芸守宗重らと密謀し伊達家乗っ取りを企む宗勝に取り入り、御家の為に死んでゆく忠臣として描かれました。
境内に咲いていた「紅い萩」・・・伊達騒動を連想する先代萩???
下は東陽寺裏側の景色・・・原田甲斐の首塚もありました。
伊達騒動の結末は、原田甲斐の刃傷沙汰により事実不明の取り扱いになりました。時代背景は大名の改易を虎視耽々と狙いすましていた幕府にとっては格好の材料だったはずでしたが、前記しましたように伊達宗勝派の一掃と原田甲斐家の取り潰し(原田家の男子4名と孫2名の切腹)、藩主綱村公は幼少の為お咎めなしの裁定でした。
仙台藩に縁のある私達ですが、裁定に対し何となく?、原田甲斐があくまでも私怨による私闘として願った通りになった幕府の裁定・・・政治ですね。伊達学での涌谷のS先生の「樅の木は残った」による原田甲斐の扱いに憤慨も判る気もしますが、これも歴史です。
最終は長谷寺・伊達小次郎(伊達政宗の弟→竺丸)もと思いましたが、近々・・・。